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ご報告とお知らせ。 [日記・エッセイ]
毎度、大変ご無沙汰してます
前回の更新から1年が経ってしまいました。
皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか?
私は、前回の記事で書きましたが“一応社長”
として相変わらず悪戦苦闘しています
特に去年は、業務上必須な申請更新が同時期に2つほど
重なってしまい、頭の中に嵐が起こりまして
何とか乗り切った時には、夏の稼ぎ時に入ってしまい
オヤジも老骨に鞭打って頑張ってくれているのに
肝心な私が自分でも驚いた事に急性腸炎になってしまい
誕生日は点滴を受けていた・・・という悲しい祝福を受けました
それが夏の事なのですが、その後、やっと体調が戻ってきた頃に
うちとしては大きな仕事がやはり同じ工期に入り、にわかにテンション
が上がったものの
M君がキャパ超えして、一方の現場で今までに起こした事のない様なミスを
連発してしまい、クレームので夕飯を中断される事が重なり
半端ない嫌味を言われたり、挙句は別件でも理不尽なクレームを付けられ
(続くときは続きますね)振り切る為に土下座して謝ったりで
カッコよく「社長の仕事の1つは謝る事だから」なんて言って
いたものの、さすがに参って
はぁ~~~社長なんてなるもんじゃない
と、何度一人ゴチたことか
まぁークレームの中には“いいがかり”もありましたが、1つミスをしてしまうと
説明は言い訳にしかならないものだし、現場内で悶着になっては最悪なので
敢えて何も言わず謝るしかなかったり、でも補償問題が絡んでしまった際は
言う事は言わなければならずに百戦錬磨の建築会社の社長と渡りをつけ・・・
とにかく覚悟していた想像を大きく超えて、思わぬ形で洗礼を受けました
今年に入ってからは、ほっとしたのもつかの間・・・
初めての、確定申告・消費税申告がまたもや頭に嵐を起こしてくれました。
数学は好きだったのに、帳簿しかも申告書類となると
別問題なんだんだなぁ~~と痛感しました
やっとひと段落ついて、久し振りにマイペースに戻りましたが
反動か5月病か、ぐだぐだ状態です
ところで。
この1年間更新をしない間に、事もあろうか浮気してしまいました^^;
ソネブロが重たいことと、皆様の所に伺えないのに自分の記事を
書くことに罪悪感があって、アメブロにちまちま書いています。
ここでお世話になった皆様への感謝の気持ちは忘れようもありませんし
出来れば今後もお付き合い頂けたらと思っています。
どうかお察し頂ければ有り難いです。
もし、宜しかったらアメブロの方に遊びに来て下さったら嬉しいです。
http://ameblo.jp/mya-suke2011/
例年より早く梅雨入りしましたね。
ジメっとして気持ちも沈みがちですし、体のバランスも乱れがちに
なりますが、どうぞ皆様天気予報も参考にしながらご自愛下さい。
前回の更新から1年が経ってしまいました。
皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか?
私は、前回の記事で書きましたが“一応社長”
として相変わらず悪戦苦闘しています
特に去年は、業務上必須な申請更新が同時期に2つほど
重なってしまい、頭の中に嵐が起こりまして
何とか乗り切った時には、夏の稼ぎ時に入ってしまい
オヤジも老骨に鞭打って頑張ってくれているのに
肝心な私が自分でも驚いた事に急性腸炎になってしまい
誕生日は点滴を受けていた・・・という悲しい祝福を受けました
それが夏の事なのですが、その後、やっと体調が戻ってきた頃に
うちとしては大きな仕事がやはり同じ工期に入り、にわかにテンション
が上がったものの
M君がキャパ超えして、一方の現場で今までに起こした事のない様なミスを
連発してしまい、クレームので夕飯を中断される事が重なり
半端ない嫌味を言われたり、挙句は別件でも理不尽なクレームを付けられ
(続くときは続きますね)振り切る為に土下座して謝ったりで
カッコよく「社長の仕事の1つは謝る事だから」なんて言って
いたものの、さすがに参って
はぁ~~~社長なんてなるもんじゃない
と、何度一人ゴチたことか
まぁークレームの中には“いいがかり”もありましたが、1つミスをしてしまうと
説明は言い訳にしかならないものだし、現場内で悶着になっては最悪なので
敢えて何も言わず謝るしかなかったり、でも補償問題が絡んでしまった際は
言う事は言わなければならずに百戦錬磨の建築会社の社長と渡りをつけ・・・
とにかく覚悟していた想像を大きく超えて、思わぬ形で洗礼を受けました
今年に入ってからは、ほっとしたのもつかの間・・・
初めての、確定申告・消費税申告がまたもや頭に嵐を起こしてくれました。
数学は好きだったのに、帳簿しかも申告書類となると
別問題なんだんだなぁ~~と痛感しました
やっとひと段落ついて、久し振りにマイペースに戻りましたが
反動か5月病か、ぐだぐだ状態です
ところで。
この1年間更新をしない間に、事もあろうか浮気してしまいました^^;
ソネブロが重たいことと、皆様の所に伺えないのに自分の記事を
書くことに罪悪感があって、アメブロにちまちま書いています。
ここでお世話になった皆様への感謝の気持ちは忘れようもありませんし
出来れば今後もお付き合い頂けたらと思っています。
どうかお察し頂ければ有り難いです。
もし、宜しかったらアメブロの方に遊びに来て下さったら嬉しいです。
http://ameblo.jp/mya-suke2011/
例年より早く梅雨入りしましたね。
ジメっとして気持ちも沈みがちですし、体のバランスも乱れがちに
なりますが、どうぞ皆様天気予報も参考にしながらご自愛下さい。
リセットして・・・セカンドステージへ! [日記・エッセイ]
こんばんはっ
皆様、GWを満喫していますか~
最後に記事を書いてから気が付けば1年経ってしまっていました
読者数も減っていて・・・当たり前だよなぁ~と思いつつも、ちょっと寂しいです
記事を書きたいなぁ~と思っても、レスも遅れてしまうのは目に見えているし、今まで以上に皆様の所に伺えないだろうと考えると申し訳ないし、心と時間にゆとりが持てない事も理由でした。
改めて、あれから・・・
震災の被害に遭われたお客様からの依頼に何とかお応えする事が出来てほっとしたところで、予期せぬ役目が増えました。
(去年の)4月から下の姪の若君が幼稚園に入ったのを機に、ひろちゃんが6月からパートを始めました。
面接の際に話したのでしょうが、どうしても残業の日が多くなってしまい、私が二人の姪の“お側用人”に就任しました。
そのうえ、余震が落ち着いたことから再開した、ママちゃんのサークルの送迎が週に2~3回入ることになりまして。。。
初めて“一人でお留守番”をすることになった、のんの将軍は元来のビビリ性もあり、真っ直ぐに事務所に来ます。
その後、30、40分すると若君が返って来るので“園バス停留所”までお迎えに行きます。直ぐ近くのなのですが、たまに忙しさに意識が吹っ飛びダッシュで駆けつける事もしばしば・・・
で、かしまし娘が二人揃った事務所は、そりゃ~~~もう仕事どころではないっ
更に、その隙を見計らってママちゃんの送迎ときちゃ~~~
まだまだ体力が付いていない私としては、
「仕事に集中出来なぁ~~~い!」
・・・のですよね
で、そんなこんなの渦に巻かれ出して直ぐに“地デジ化切りかえ”がやってきました。
有難いことですが、予想を上回る“駆け込み注文”が入りまして、休みの日も部屋にこもって(普段もそうだけど^^;)商品の確保や現場の段取りを考えたりで、てんやわんやでした
ほっと一息ついてお盆を迎えて、後半戦。。。
お側用人の任は続くなか・・・
市の入札案件が偶然連続であったり、相変わらずあっちにこっちにという状態で「はて、私の仕事は何だろう?」と、ふっと考えることもしばしば
そして、最後のトドメは、オヤジが“免許取り消し”になった事でした
主たる事理由はシートベルト装着違反でした。
もちろん、取り消しになる前に“免亭”がありましたが、彼のポリシーの中の一つに
“法律に背く事”
が有る様で、それをしっかり実践してくれた訳です
まぁ~所持万端「I am low」で生きている人ですから、青天の霹靂ではありませんでしたが、仕事の面を考えると・・・
こぉ~のスットコドッコイ、大概にせいやぁ~
と、頭を抱えた様な次第でして
それでも、駆け抜けるしかなくて年末まで“とにかく捌いで”去年の仕事納めを迎えました。
で、今年の始りは、比較的穏やかで、営業パンフを作ってみたり、勉強してみたりで、頭の中だけが走っている状態でのスタートでした。
その後も、去年が大変だったせいか、特にあたふたする事もなく・・・ただ、オヤジがの運転が出来ないので、出掛ける事が多くなった程度かな
M君も、たま~にご機嫌の悪い時には“お前は日本語が分からんのかいっ”と言いたくなる様な言動をしますが、仲良くやっていて、現場の話も沢山してくれ
♪上から~ゆっち~~サディスティックな奴め (AKB48:うえからマリコ、パクリ^^;)
を受け入れてくれています。
そうなれたのも、一昨年に閃き?があった事が大きいと思います。
簡単な事なのですが、ある時、ふっと
あ、そうか。どうして?なんで?って自分目線でしか見ないから苛立つんだ。とにかく“M君はこういう人”って全部受け入れちゃえばいいんだ!
って思ったんですよね。
そこで、“○○して欲しい”と思った時に、M君だったらどういう表現が飲み込みやすいか・受け入れやすいかを改めて想像してみたり、話してくれる事を全部否定しないで聞いたり、やって欲しい事もまずは自分でやっている姿を見せる→もっと報告をして欲しかったら、自分がオヤジに細かく報告している姿を見せるとか。
あとは、意識をして「ありがとう」「ごめんなさい」を言う回数を多くしてみたり。
そんな結構普通の事なのですが、あとは・・・バカとハサミは使い様・・・豚もおだてりゃ木に登る・・・かな^^;
バカにしてる様ですが、結果オーライという事で
・・・と、ここまでは、表面的なご報告がてらの話で。。。
☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°.:*‥°.:*.:*☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°.:*‥°.:*.:*☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°
プライベートの面では・・・泣いたねぇ~~~。
某芸能人が離婚会見で言っていましたが
人生で起こると想像していなかった事
が私にも連発しました。
心の中の一番太い柱が、だるま落としでスコーンと駒を抜いた途端に崩れる様に折れてしまいました。
愛されている事は疑わなくても、母を“親というスタンス”で見られなくなりました。
もちろん、人間関係や物事に10対0ってことはありません。自分にも原因や理由はあります。
でも、分かっていても、胸は痛みました・・・いや、今もそこに気持ちがシフトすると痛みます。
もう、人と係わりたくない・人に心を開くのはやめよう、何て考えましたし、そんな気持ちを隠してケラケラ笑いながら仕事をしなくてはならない環境が重たくなって「全部放り投げて逃げてしまいたい」と思う時も少なくはありませんでした。
だけど。
「死にたい」という考えは浮かばなかったのですよね。
逆に「とにかく前に!」って言うんです。自分の中の何処かに生まれていた自分が。
ふしぎだなぁ~って思いましたが、“これが病気が良くなったって事”なのかなと思いました。
事の大小は比べられないけれど、やり切れなが募った時・デットエンドに立ったと感じた時は死のうと思ったし、実際に薬を多量に飲んだ事が2度ありました。
なのに、いつの間にか脳が勝手に“死ぬ”じゃなくて“とにかく前を向け”ってサインを送ってくる。
へぇ~~~人間ってスゴイんだねぇ!
アメリカの某医学博士が「病の中で一番恐ろしいのは心の病気だ」と言っていた意味を改めて痛感しながら、振り返ってみると・・・
たかちゃん先生に診察してもらうようになって直ぐの頃・・・
当時は鬱だけではなくて、過食症も併発していたせいか
「このままでは死にますよ」
と、病気を受け入れられない母に言った先生の声が、まるで自分じゃない誰かの噂話をしているように聞こえて
ふぅ~ん、こんな感じでも死ぬのか。意外と人間ってあっけないもんなんだなぁ~。
なんて、どの部分がそんなに危険なのかも、どんな病気かも解出来ないままで治療がスタートしたんだっけ・・・。
それから
先生の猛反対を押し切って働き出して、長いスパンで考えたら治りを遅くしたのかもなぁ。
その他、色々と先生の言う事を聞かずに困らせたなぁ。
だけど、見えた事も多かったし、少しは学んだ事もあった・・・と思う。
そんな折に、震災があった。
被災したと言うにはおこがましい軽度だけど、崩れ落ちてくる瓦の下敷きになりそうになって、打ち身を負った。
てんてこ舞いの生活になって、潰れてしまう・・・折れそうになった時、ある人に気付かされた。
「よぉうく考えてみな。死ぬって言われて自分でも死のうとまでしたのに、ここまで来る事が出来たんだよ。どんだけ辛かったか振り返ってみなよ。その苦しみを乗り越えて来たんだよ。初めての経験だしパニックになるのも当然だけど、生活の辛さで言ったら比べ物にならないでしょ。大丈夫。今だって絶対に出来る」
そうだ。先の見えない、自分の意志では抗えないブラックホールの中でもがいていた事と比べたら、今の状態ははるかにマシだ。
そうだ。縁あって生きているし、病気も良くなったんだから、あの頃より戦えないはずはない。
“のど元過ぎれば熱さ忘れる”になっちゃってたのかな・・・
うん。折れるもんか
目に見えている事なら立ち向かえるんじゃないかと勇気が沸いた瞬間だったと思う。
それから、話が前後しますが、上段に書いた様に、駆け抜けて・・・
今。
未熟ながらも、二代目社長が誕生しました。
前から暗黙の了解でしたが、娘可愛いとは言え、そこはシビアに去年、最後のハードルを置かれました。
「お前の考えで仕事を回し、帳簿を付け、やって行けるか見せてみろ」
そして、結果は1~2割家計とのリンクを入れても“暫定黒字”に(企業や役所の支払い日の関係で)する事が出来、決済が下りたのです。
ガッツポ~~~ズ
はぁ~良かったと安堵しましたが、時を移さず、潮が満ちてくる様にでジワ~っと、初めての類の“責任”が押し寄せてきて・・・相変わらず右へ左へ彷徨いだした心ですが・・・
自分はどうしたいのか
自分は何をしなければいけないのか
が、ハッキリしました。
一番大きな事は。
もう今迄の様に、曖昧に・避ける・誤魔化す事で“いい人でいよう”としてた自分からいい加減大人にならければいけないと。
私個人の生活を守るんじゃないから。
きっと、オヤジも色々な場面で、シビアにならざるを得なかったり、リアルタイムには理解してもらえない決断をしてきたのだと思う。
無口な彼は愚痴も言わない代わりに説明も余りしなかったから、時に反感だけをぶつけてしまったっけ。
私に対しても、仕事のやり方とか何をするべきがとか、ほとんど言わなかった。
でも、間違っている事は「間違っている!」と、顔を鬼瓦の様にしてまで私が理解出来るまで言ってくれる。
“愛の鞭”ってやつだろうし、“冷や酒と親父の小言は後からきく”って本当だ。
それから。
去年から今年にかけて泣いて泣いたことで心に願いと約束をした。
豊かな人になりたい。
向き合っている人の心に常に真摯である様に。
2.3年前までの病気の症状があった13.4年間の私の生活は、小さな社会の中ででしたが評価してもらえる仕事が出来ていても、いい事があっても“自分の中に自分がいなかった”から空白ですし、これからも空白のままでしょう。
金銭的なことでもないから埋め合わせる事も出来ません。
でも、埋め合わせる必要はないかなぁ~て。
駄目は駄目なりに一生懸命で、その頃の私にはそれしか出来なかったのだし、振り返る事は出来ても、道は戻って直せないから。
だから・・・
今迄の事をリセットして、自分の中に戻って来た自分でセカンドステージの始まりです。
家族を始め、この場所でも励まし・応援して下さった皆様への感謝の気持ちを胸に、良い道を敷いて行こうと思います。
今の心持にピッタリかなぁ~と思う曲を良かったら聞いてみて下さい。
これからもブログは続けて行きたいと思っていますが、ちょっと手軽なツイッターも始めていて、ポツポツつぶやいています。
良かったらお相手下さい。
http://twitter.com//yucchi315
皆様、GWを満喫していますか~
最後に記事を書いてから気が付けば1年経ってしまっていました
読者数も減っていて・・・当たり前だよなぁ~と思いつつも、ちょっと寂しいです
記事を書きたいなぁ~と思っても、レスも遅れてしまうのは目に見えているし、今まで以上に皆様の所に伺えないだろうと考えると申し訳ないし、心と時間にゆとりが持てない事も理由でした。
改めて、あれから・・・
震災の被害に遭われたお客様からの依頼に何とかお応えする事が出来てほっとしたところで、予期せぬ役目が増えました。
(去年の)4月から下の姪の若君が幼稚園に入ったのを機に、ひろちゃんが6月からパートを始めました。
面接の際に話したのでしょうが、どうしても残業の日が多くなってしまい、私が二人の姪の“お側用人”に就任しました。
そのうえ、余震が落ち着いたことから再開した、ママちゃんのサークルの送迎が週に2~3回入ることになりまして。。。
初めて“一人でお留守番”をすることになった、のんの将軍は元来のビビリ性もあり、真っ直ぐに事務所に来ます。
その後、30、40分すると若君が返って来るので“園バス停留所”までお迎えに行きます。直ぐ近くのなのですが、たまに忙しさに意識が吹っ飛びダッシュで駆けつける事もしばしば・・・
で、かしまし娘が二人揃った事務所は、そりゃ~~~もう仕事どころではないっ
更に、その隙を見計らってママちゃんの送迎ときちゃ~~~
まだまだ体力が付いていない私としては、
「仕事に集中出来なぁ~~~い!」
・・・のですよね
で、そんなこんなの渦に巻かれ出して直ぐに“地デジ化切りかえ”がやってきました。
有難いことですが、予想を上回る“駆け込み注文”が入りまして、休みの日も部屋にこもって(普段もそうだけど^^;)商品の確保や現場の段取りを考えたりで、てんやわんやでした
ほっと一息ついてお盆を迎えて、後半戦。。。
お側用人の任は続くなか・・・
市の入札案件が偶然連続であったり、相変わらずあっちにこっちにという状態で「はて、私の仕事は何だろう?」と、ふっと考えることもしばしば
そして、最後のトドメは、オヤジが“免許取り消し”になった事でした
主たる事理由はシートベルト装着違反でした。
もちろん、取り消しになる前に“免亭”がありましたが、彼のポリシーの中の一つに
“法律に背く事”
が有る様で、それをしっかり実践してくれた訳です
まぁ~所持万端「I am low」で生きている人ですから、青天の霹靂ではありませんでしたが、仕事の面を考えると・・・
こぉ~のスットコドッコイ、大概にせいやぁ~
と、頭を抱えた様な次第でして
それでも、駆け抜けるしかなくて年末まで“とにかく捌いで”去年の仕事納めを迎えました。
で、今年の始りは、比較的穏やかで、営業パンフを作ってみたり、勉強してみたりで、頭の中だけが走っている状態でのスタートでした。
その後も、去年が大変だったせいか、特にあたふたする事もなく・・・ただ、オヤジがの運転が出来ないので、出掛ける事が多くなった程度かな
M君も、たま~にご機嫌の悪い時には“お前は日本語が分からんのかいっ”と言いたくなる様な言動をしますが、仲良くやっていて、現場の話も沢山してくれ
♪上から~ゆっち~~サディスティックな奴め (AKB48:うえからマリコ、パクリ^^;)
を受け入れてくれています。
そうなれたのも、一昨年に閃き?があった事が大きいと思います。
簡単な事なのですが、ある時、ふっと
あ、そうか。どうして?なんで?って自分目線でしか見ないから苛立つんだ。とにかく“M君はこういう人”って全部受け入れちゃえばいいんだ!
って思ったんですよね。
そこで、“○○して欲しい”と思った時に、M君だったらどういう表現が飲み込みやすいか・受け入れやすいかを改めて想像してみたり、話してくれる事を全部否定しないで聞いたり、やって欲しい事もまずは自分でやっている姿を見せる→もっと報告をして欲しかったら、自分がオヤジに細かく報告している姿を見せるとか。
あとは、意識をして「ありがとう」「ごめんなさい」を言う回数を多くしてみたり。
そんな結構普通の事なのですが、あとは・・・バカとハサミは使い様・・・豚もおだてりゃ木に登る・・・かな^^;
バカにしてる様ですが、結果オーライという事で
・・・と、ここまでは、表面的なご報告がてらの話で。。。
☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°.:*‥°.:*.:*☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°.:*‥°.:*.:*☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°
プライベートの面では・・・泣いたねぇ~~~。
某芸能人が離婚会見で言っていましたが
人生で起こると想像していなかった事
が私にも連発しました。
心の中の一番太い柱が、だるま落としでスコーンと駒を抜いた途端に崩れる様に折れてしまいました。
愛されている事は疑わなくても、母を“親というスタンス”で見られなくなりました。
もちろん、人間関係や物事に10対0ってことはありません。自分にも原因や理由はあります。
でも、分かっていても、胸は痛みました・・・いや、今もそこに気持ちがシフトすると痛みます。
もう、人と係わりたくない・人に心を開くのはやめよう、何て考えましたし、そんな気持ちを隠してケラケラ笑いながら仕事をしなくてはならない環境が重たくなって「全部放り投げて逃げてしまいたい」と思う時も少なくはありませんでした。
だけど。
「死にたい」という考えは浮かばなかったのですよね。
逆に「とにかく前に!」って言うんです。自分の中の何処かに生まれていた自分が。
ふしぎだなぁ~って思いましたが、“これが病気が良くなったって事”なのかなと思いました。
事の大小は比べられないけれど、やり切れなが募った時・デットエンドに立ったと感じた時は死のうと思ったし、実際に薬を多量に飲んだ事が2度ありました。
なのに、いつの間にか脳が勝手に“死ぬ”じゃなくて“とにかく前を向け”ってサインを送ってくる。
へぇ~~~人間ってスゴイんだねぇ!
アメリカの某医学博士が「病の中で一番恐ろしいのは心の病気だ」と言っていた意味を改めて痛感しながら、振り返ってみると・・・
たかちゃん先生に診察してもらうようになって直ぐの頃・・・
当時は鬱だけではなくて、過食症も併発していたせいか
「このままでは死にますよ」
と、病気を受け入れられない母に言った先生の声が、まるで自分じゃない誰かの噂話をしているように聞こえて
ふぅ~ん、こんな感じでも死ぬのか。意外と人間ってあっけないもんなんだなぁ~。
なんて、どの部分がそんなに危険なのかも、どんな病気かも解出来ないままで治療がスタートしたんだっけ・・・。
それから
先生の猛反対を押し切って働き出して、長いスパンで考えたら治りを遅くしたのかもなぁ。
その他、色々と先生の言う事を聞かずに困らせたなぁ。
だけど、見えた事も多かったし、少しは学んだ事もあった・・・と思う。
そんな折に、震災があった。
被災したと言うにはおこがましい軽度だけど、崩れ落ちてくる瓦の下敷きになりそうになって、打ち身を負った。
てんてこ舞いの生活になって、潰れてしまう・・・折れそうになった時、ある人に気付かされた。
「よぉうく考えてみな。死ぬって言われて自分でも死のうとまでしたのに、ここまで来る事が出来たんだよ。どんだけ辛かったか振り返ってみなよ。その苦しみを乗り越えて来たんだよ。初めての経験だしパニックになるのも当然だけど、生活の辛さで言ったら比べ物にならないでしょ。大丈夫。今だって絶対に出来る」
そうだ。先の見えない、自分の意志では抗えないブラックホールの中でもがいていた事と比べたら、今の状態ははるかにマシだ。
そうだ。縁あって生きているし、病気も良くなったんだから、あの頃より戦えないはずはない。
“のど元過ぎれば熱さ忘れる”になっちゃってたのかな・・・
うん。折れるもんか
目に見えている事なら立ち向かえるんじゃないかと勇気が沸いた瞬間だったと思う。
それから、話が前後しますが、上段に書いた様に、駆け抜けて・・・
今。
未熟ながらも、二代目社長が誕生しました。
前から暗黙の了解でしたが、娘可愛いとは言え、そこはシビアに去年、最後のハードルを置かれました。
「お前の考えで仕事を回し、帳簿を付け、やって行けるか見せてみろ」
そして、結果は1~2割家計とのリンクを入れても“暫定黒字”に(企業や役所の支払い日の関係で)する事が出来、決済が下りたのです。
ガッツポ~~~ズ
はぁ~良かったと安堵しましたが、時を移さず、潮が満ちてくる様にでジワ~っと、初めての類の“責任”が押し寄せてきて・・・相変わらず右へ左へ彷徨いだした心ですが・・・
自分はどうしたいのか
自分は何をしなければいけないのか
が、ハッキリしました。
一番大きな事は。
もう今迄の様に、曖昧に・避ける・誤魔化す事で“いい人でいよう”としてた自分からいい加減大人にならければいけないと。
私個人の生活を守るんじゃないから。
きっと、オヤジも色々な場面で、シビアにならざるを得なかったり、リアルタイムには理解してもらえない決断をしてきたのだと思う。
無口な彼は愚痴も言わない代わりに説明も余りしなかったから、時に反感だけをぶつけてしまったっけ。
私に対しても、仕事のやり方とか何をするべきがとか、ほとんど言わなかった。
でも、間違っている事は「間違っている!」と、顔を鬼瓦の様にしてまで私が理解出来るまで言ってくれる。
“愛の鞭”ってやつだろうし、“冷や酒と親父の小言は後からきく”って本当だ。
それから。
去年から今年にかけて泣いて泣いたことで心に願いと約束をした。
豊かな人になりたい。
向き合っている人の心に常に真摯である様に。
2.3年前までの病気の症状があった13.4年間の私の生活は、小さな社会の中ででしたが評価してもらえる仕事が出来ていても、いい事があっても“自分の中に自分がいなかった”から空白ですし、これからも空白のままでしょう。
金銭的なことでもないから埋め合わせる事も出来ません。
でも、埋め合わせる必要はないかなぁ~て。
駄目は駄目なりに一生懸命で、その頃の私にはそれしか出来なかったのだし、振り返る事は出来ても、道は戻って直せないから。
だから・・・
今迄の事をリセットして、自分の中に戻って来た自分でセカンドステージの始まりです。
家族を始め、この場所でも励まし・応援して下さった皆様への感謝の気持ちを胸に、良い道を敷いて行こうと思います。
今の心持にピッタリかなぁ~と思う曲を良かったら聞いてみて下さい。
これからもブログは続けて行きたいと思っていますが、ちょっと手軽なツイッターも始めていて、ポツポツつぶやいています。
良かったらお相手下さい。
http://twitter.com//yucchi315
あれあれGWだよ。 [日記・エッセイ]
こんばんは。
毎度ご無沙汰しております。
そして、毎度皆様のところに伺えずにすみませんm(__)m
前記事で、サッカー選手に感動をもらってから・・・
お陰さまで忙しいゆっち電気ですが。
こんな時に限って?珍しい事にM君がクレームを起こし、最終的には私もお客様宅へ伺って、三つ指ついてお詫びしました。何かと話しているうちにご理解を頂けて次の仕事も頼まれて、ほっと一息。とっぷり夜は更けていた
今年になって、のやり取りをするようになったお得意様が、私はどんな人?と言っているとM君に言われ、急遽事務仕事を放りだして現場の打ち合わせに同行。
震災の罹災証明願いを出すために市役所に行き、対応が間に合わないと言われて、自分で被害個所の写真撮影。
肝心な事には無口なオヤジとM君からそれぞれがやっている仕事を聞き出して、まとめたり・日程の調整。
あれやこれやの交渉や手配で問屋をイジメ^^;
ご飯を食べようと思っていると、電話があって、冷めたご飯を「いただきまぁ~す」ってことも何度か。
もぉ~メモにまみれてって状態でした。
そんなこんなをしている時に、4月11日の大きな余震
震度5強でした。
慌てて部屋から下の車庫へ下りたのですが、開けたままのドアから、部屋の中で食器の触れる音が良く聞こえて、本災の日を思い出してしまいました
その後、1時間内で震度3~4の余震が断続的に続き、もう逃げる気力も萎えてしまって、ただ部屋で怯えていました
その後。
案に反して、“この際、●●を見直したい”とい企業や団体さんが出てきて、オヤジと出向いて調査して見積もりを作ったり。
今年度からママりんが付けている帳簿とは別に、家計とリンクしない帳簿を付ける事になり、ママりんに出す今までの帳簿と2つになって、「んがぁ~~」
M君がクレームを受けたお宅の集金に行って、イヤな事を言われて、私に八つ当たり完全上命令形で、(それはダメでしょ^^;)って事を言われて・・・「そんなの良気に計らってこいや」って言いたいのをぐっと我慢。
ママりんのサークルも再開しているので送迎。
まぁ~~~疲れたっ
毎日、栄養ドリンクを飲んでしまっています
そんな中、友達から「桜、咲いた?」ってがあったんですね。
えっって思いました。
桜が咲いたかに気が全く向いていませんでした
そう、庭のチューリップが咲いたかな?とか毎年考える様な事が何一つ浮かばなかった。
やっと周りを見渡したら、桜は散り際でした。
とても残念だったとガッカリして・・・あれ?
自然に失意に落とされたのに、自然に癒されることを変わらず望み喜べる。
不思議だ。
人間の心の様な作為がないからなのだろうか?
深く考えると哲学の道に入り込みそうなお題だな・・・やめとこ^^;
って、なことで、気が付いたらGWになっちゃったよっ
休みはきちんと決まっていませんが、もちろん?寝る・飲む・夜更かし・読書三昧になるでしょう
関係ないようだけど、傍から見たら、“午後出勤で良いご身分だことって”思われているんだろうなぁ~って、よく考えます。
自分でも今一番歯がゆいのは体力がない事。
だけど、震災後は薬を変えたのに変えたのにAM3~6時頃まで寝付けない日が特に多いです。
たかちゃん先生は、今は薬のせいではなく、震災の影響やキャパを超えた疲れや緊張のせいだと言っています。そして、「今は踏ん張れ!」と。
うん、そして踏ん張った・・・と思う。
だから、いいよね。
GW中の休みの日はオフタイムにしてもいいよね。
毎度ご無沙汰しております。
そして、毎度皆様のところに伺えずにすみませんm(__)m
前記事で、サッカー選手に感動をもらってから・・・
お陰さまで忙しいゆっち電気ですが。
こんな時に限って?珍しい事にM君がクレームを起こし、最終的には私もお客様宅へ伺って、三つ指ついてお詫びしました。何かと話しているうちにご理解を頂けて次の仕事も頼まれて、ほっと一息。とっぷり夜は更けていた
今年になって、のやり取りをするようになったお得意様が、私はどんな人?と言っているとM君に言われ、急遽事務仕事を放りだして現場の打ち合わせに同行。
震災の罹災証明願いを出すために市役所に行き、対応が間に合わないと言われて、自分で被害個所の写真撮影。
肝心な事には無口なオヤジとM君からそれぞれがやっている仕事を聞き出して、まとめたり・日程の調整。
あれやこれやの交渉や手配で問屋をイジメ^^;
ご飯を食べようと思っていると、電話があって、冷めたご飯を「いただきまぁ~す」ってことも何度か。
もぉ~メモにまみれてって状態でした。
そんなこんなをしている時に、4月11日の大きな余震
震度5強でした。
慌てて部屋から下の車庫へ下りたのですが、開けたままのドアから、部屋の中で食器の触れる音が良く聞こえて、本災の日を思い出してしまいました
その後、1時間内で震度3~4の余震が断続的に続き、もう逃げる気力も萎えてしまって、ただ部屋で怯えていました
その後。
案に反して、“この際、●●を見直したい”とい企業や団体さんが出てきて、オヤジと出向いて調査して見積もりを作ったり。
今年度からママりんが付けている帳簿とは別に、家計とリンクしない帳簿を付ける事になり、ママりんに出す今までの帳簿と2つになって、「んがぁ~~」
M君がクレームを受けたお宅の集金に行って、イヤな事を言われて、私に八つ当たり完全上命令形で、(それはダメでしょ^^;)って事を言われて・・・「そんなの良気に計らってこいや」って言いたいのをぐっと我慢。
ママりんのサークルも再開しているので送迎。
まぁ~~~疲れたっ
毎日、栄養ドリンクを飲んでしまっています
そんな中、友達から「桜、咲いた?」ってがあったんですね。
えっって思いました。
桜が咲いたかに気が全く向いていませんでした
そう、庭のチューリップが咲いたかな?とか毎年考える様な事が何一つ浮かばなかった。
やっと周りを見渡したら、桜は散り際でした。
とても残念だったとガッカリして・・・あれ?
自然に失意に落とされたのに、自然に癒されることを変わらず望み喜べる。
不思議だ。
人間の心の様な作為がないからなのだろうか?
深く考えると哲学の道に入り込みそうなお題だな・・・やめとこ^^;
って、なことで、気が付いたらGWになっちゃったよっ
休みはきちんと決まっていませんが、もちろん?寝る・飲む・夜更かし・読書三昧になるでしょう
関係ないようだけど、傍から見たら、“午後出勤で良いご身分だことって”思われているんだろうなぁ~って、よく考えます。
自分でも今一番歯がゆいのは体力がない事。
だけど、震災後は薬を変えたのに変えたのにAM3~6時頃まで寝付けない日が特に多いです。
たかちゃん先生は、今は薬のせいではなく、震災の影響やキャパを超えた疲れや緊張のせいだと言っています。そして、「今は踏ん張れ!」と。
うん、そして踏ん張った・・・と思う。
だから、いいよね。
GW中の休みの日はオフタイムにしてもいいよね。
涙ぽろり。:東北地方太平洋沖地震 [日記・エッセイ]
昨日あった事を書こうと思っていましたが、それは次の記事にする事にして。。。
今日は、震災復興のためのサッカーのチャリティーマッチがありましたね。
試合前の日本代表の挨拶で「いつも、自分達は皆さんに応援していただいて頑張ってこられました。だから今度は自分達が応援したい」というような事を話されているのを聞いて、じーんとしてしまいました。
精一杯頑張っているいつもの彼らの姿に勇気を貰えるのと同じに、その熱意をもって応援されているというのもこれから頑張って行く勇気に繋がりますよね。
試合が始まって、日本代表が先取点を挙げた時に、集まった選手が腕に巻いていた喪章を外してガーっと天に掲げる・・・
きっと哀悼の意は届いたと思いながら、うるるる・・・
その後、サッカー音痴の私には技術的な事は分かりませんでしたが、真剣勝負のスポーツマンとして出来る熱意に画面に見入りながら・・・カズ選手の出番を“まだか?”という気持ちで待っていました。
体の管理も相当な努力をされている現役最年長であり、若さにかなわないスピード面を技術や計算、それと信念で頑張っている“サッカー人”として、リスク?困難に?立ち向かう気迫を一番理屈抜きで現わしてくれると思って。。。
後半。やっとメンバーチェンジでピッチ入りしたカズ選手。
まさに、祈る様な気持でした。
そして・・・ゴール!
「わぁ~~!」っと一人ガッツポーズと拍手。
“キング”だねぇ~。
色んな意味で良かった、見て良かったよ!!!
試合後。。。
カズ選手の(言葉は正確ではありませんが)「人間は困難にぶつかりながらも克服してきた」「明るい気持ちにはなれないかもしれないけど、明るい事がなければ頑張れない」って言葉に頷いた。
そして、テレビの前ではなく、天国で試合を見ていらっしゃる方々の多さを改めてリアルに感じて、涙がぽろり。。。
カズ選手の言葉の通りに、人間の歴史は困難を・悲劇を乗り越え、克服する事の繰り返しだったのではないか?と思います。
遡ってみた近代の日本の歴史で、私に少しの知識を与えてくれた戦争の事。
日露戦争では寒さで歯が立たなくなったご飯をなんとか齧りながら、防寒着も与えられず雪の中を延々行脚したり・・・
太平洋戦争では、狂気としか思えない様な作戦が幾つもあったうえ原爆の被害を受け、それこそ東日本・西日本なんてない国全体の先の読めない復興に陥って・・・
祖父母から親世代が担った現代よりも物もない、便利な家電品やレトルト食品も携帯もない・・・私達世代には想像もつかない我慢と努力の時代だったでしょう。
でも、日本はここまで来た。
高度成長もメイド・イン・ジャパンの価値等も、”無から有を生む”ハングリー精神や古から組み込まれている“日本人”が築きあげたのですよね。
そのDNAは絶対に受け継がれていると私は信じます。
環境に埋もれて眠っていたDNAがあったとしても、きっと目を覚まして、震災地・被災者の枠を超えた“復興=日本の立て直し”に進めると信じています。
一つずつ。
一歩ずつ。
涙の数も減らして行こうね。
今日は、震災復興のためのサッカーのチャリティーマッチがありましたね。
試合前の日本代表の挨拶で「いつも、自分達は皆さんに応援していただいて頑張ってこられました。だから今度は自分達が応援したい」というような事を話されているのを聞いて、じーんとしてしまいました。
精一杯頑張っているいつもの彼らの姿に勇気を貰えるのと同じに、その熱意をもって応援されているというのもこれから頑張って行く勇気に繋がりますよね。
試合が始まって、日本代表が先取点を挙げた時に、集まった選手が腕に巻いていた喪章を外してガーっと天に掲げる・・・
きっと哀悼の意は届いたと思いながら、うるるる・・・
その後、サッカー音痴の私には技術的な事は分かりませんでしたが、真剣勝負のスポーツマンとして出来る熱意に画面に見入りながら・・・カズ選手の出番を“まだか?”という気持ちで待っていました。
体の管理も相当な努力をされている現役最年長であり、若さにかなわないスピード面を技術や計算、それと信念で頑張っている“サッカー人”として、リスク?困難に?立ち向かう気迫を一番理屈抜きで現わしてくれると思って。。。
後半。やっとメンバーチェンジでピッチ入りしたカズ選手。
まさに、祈る様な気持でした。
そして・・・ゴール!
「わぁ~~!」っと一人ガッツポーズと拍手。
“キング”だねぇ~。
色んな意味で良かった、見て良かったよ!!!
試合後。。。
カズ選手の(言葉は正確ではありませんが)「人間は困難にぶつかりながらも克服してきた」「明るい気持ちにはなれないかもしれないけど、明るい事がなければ頑張れない」って言葉に頷いた。
そして、テレビの前ではなく、天国で試合を見ていらっしゃる方々の多さを改めてリアルに感じて、涙がぽろり。。。
カズ選手の言葉の通りに、人間の歴史は困難を・悲劇を乗り越え、克服する事の繰り返しだったのではないか?と思います。
遡ってみた近代の日本の歴史で、私に少しの知識を与えてくれた戦争の事。
日露戦争では寒さで歯が立たなくなったご飯をなんとか齧りながら、防寒着も与えられず雪の中を延々行脚したり・・・
太平洋戦争では、狂気としか思えない様な作戦が幾つもあったうえ原爆の被害を受け、それこそ東日本・西日本なんてない国全体の先の読めない復興に陥って・・・
祖父母から親世代が担った現代よりも物もない、便利な家電品やレトルト食品も携帯もない・・・私達世代には想像もつかない我慢と努力の時代だったでしょう。
でも、日本はここまで来た。
高度成長もメイド・イン・ジャパンの価値等も、”無から有を生む”ハングリー精神や古から組み込まれている“日本人”が築きあげたのですよね。
そのDNAは絶対に受け継がれていると私は信じます。
環境に埋もれて眠っていたDNAがあったとしても、きっと目を覚まして、震災地・被災者の枠を超えた“復興=日本の立て直し”に進めると信じています。
一つずつ。
一歩ずつ。
涙の数も減らして行こうね。
ここで私は:東北地方太平洋沖地震 [日記・エッセイ]
こんばんは。
地震の日から9日が経ちました。
当日は金曜日でした。
メチャクチャになった部屋の中を土日で取り敢えず住める様にしようと片付けに入りました。
がたがたやっていると・・・片付けていてレンジ台から投げ出されたオーブントースターと炊飯器が壊れていて、壁板の剥がれもまた1枚にコンセントが飛び出ていて(誰だ、配線した奴は!?)・・・その他ちょろちょろ・・・
凹むぅ~(>_<)
でも、何とかまとめて、月曜日からは仕事に入っています。
体力的にも精神的にもメッチャしんどいです。
余震もあるから、緊張が切れないですしね。
寝込みたい・・・いや普段だったら完全に寝込んでいる。
だけど、そんな事は言っていられない状況。
あまり好きではないのでけど、栄養ドリンクをまさに「ふぁいとぉ~~~いっぱぁ~~~つっ!」と・・・言っていはいないけど^^;そんな勢いで飲んで気合いを入れています。
以前にも書きましたが、災害時に忙しくなる皮肉な職種の一つの電気屋。
地震の翌日の土曜日から事務所のは鳴り始めて、部屋の片付けをしながらを取ってメモを書いてオヤジに報告して、順次対応させて頂いています。
なのに、この状態だから品物が入りにくい。
早く仕上げなくちゃ!焦る気持ち。
だけど、頭の奥の方で金銭的な部分を考えている・・・。
今年は年明けからいい仕事が決まっていて、幸先いいなぁ~って考えていたのに、地震の影響でほとんどが見合わせになってしまって、当たり前だと分かっていても、つい残念な気持ちが浮かんでしまう。
それに加えて、実家と長屋の瓦の修理・・・。
親にどれだけ貯えがあるか、どれだけ費用が掛るか正確な事は分からないけど、お金で援助が出来ない分、仕事の方で何とか埋め合わせをしたくて。
さもしいね。
何か自分のちっちゃさを感します。
こんな時は仕事の大小とか儲けではなく、“安心した”と思って頂けることが一番の役目なのに。
経営に神経を傾けているうちに、商売の根本を脇にどけてしまっていたみたいだ。
そんな基本も分からなくなってしまう奴はやめちまえ!・・・額をピシャっと叩いた。
地震が起きてから掛って来た電話の中には、初めての方もいます。
お付き合いのあるお宅が紹介して下さった方もいました。
“石を投げれば電気屋にぶつかる”と笑い草になるようなこの市で。
そして、気持ちが少し落ち着いて映し出される地震の当日。
いつも笑顔のおばさんの見た事もない血の引いた様な表情。
「ゆうちゃん、車に乗ってた時だったから怖かったよ!」
「ゆうちゃんは(瓦の残骸の片付け)やらなくていいよ、休んでいなよ」
「怪我しなかった?」
近所の瓦屋さんでは対応しきれなくなってしまい、うちに職人さんを紹介してくれと頼みに来る方。
ここに住んでいるんだ。
馬鹿みたいだけど、住んでいることがリアルに感じられて、今までとは違った自分の町が見えた。
高齢者の方が多い町内。
私でさえも若い者のうちに入る。
ここで私はやるんだ。
日本規模の復興のためには何も出来ない。
でも、ここで“町の電気屋”として“動ける若い者”として目の前の人達の笑顔を見られる日を目指そう。
忘れられない怖さは忘れられるまで引きずっていったらいいんだ。
でも、私は笑おう。
今日のおまけの歌は、福山雅治さんの「明日の★SHOW」です。
♪この場所で戦うよ 倒れたって何度でも立ち上がれ・・・♪
地震の日から9日が経ちました。
当日は金曜日でした。
メチャクチャになった部屋の中を土日で取り敢えず住める様にしようと片付けに入りました。
がたがたやっていると・・・片付けていてレンジ台から投げ出されたオーブントースターと炊飯器が壊れていて、壁板の剥がれもまた1枚にコンセントが飛び出ていて(誰だ、配線した奴は!?)・・・その他ちょろちょろ・・・
凹むぅ~(>_<)
でも、何とかまとめて、月曜日からは仕事に入っています。
体力的にも精神的にもメッチャしんどいです。
余震もあるから、緊張が切れないですしね。
寝込みたい・・・いや普段だったら完全に寝込んでいる。
だけど、そんな事は言っていられない状況。
あまり好きではないのでけど、栄養ドリンクをまさに「ふぁいとぉ~~~いっぱぁ~~~つっ!」と・・・言っていはいないけど^^;そんな勢いで飲んで気合いを入れています。
以前にも書きましたが、災害時に忙しくなる皮肉な職種の一つの電気屋。
地震の翌日の土曜日から事務所のは鳴り始めて、部屋の片付けをしながらを取ってメモを書いてオヤジに報告して、順次対応させて頂いています。
なのに、この状態だから品物が入りにくい。
早く仕上げなくちゃ!焦る気持ち。
だけど、頭の奥の方で金銭的な部分を考えている・・・。
今年は年明けからいい仕事が決まっていて、幸先いいなぁ~って考えていたのに、地震の影響でほとんどが見合わせになってしまって、当たり前だと分かっていても、つい残念な気持ちが浮かんでしまう。
それに加えて、実家と長屋の瓦の修理・・・。
親にどれだけ貯えがあるか、どれだけ費用が掛るか正確な事は分からないけど、お金で援助が出来ない分、仕事の方で何とか埋め合わせをしたくて。
さもしいね。
何か自分のちっちゃさを感します。
こんな時は仕事の大小とか儲けではなく、“安心した”と思って頂けることが一番の役目なのに。
経営に神経を傾けているうちに、商売の根本を脇にどけてしまっていたみたいだ。
そんな基本も分からなくなってしまう奴はやめちまえ!・・・額をピシャっと叩いた。
地震が起きてから掛って来た電話の中には、初めての方もいます。
お付き合いのあるお宅が紹介して下さった方もいました。
“石を投げれば電気屋にぶつかる”と笑い草になるようなこの市で。
そして、気持ちが少し落ち着いて映し出される地震の当日。
いつも笑顔のおばさんの見た事もない血の引いた様な表情。
「ゆうちゃん、車に乗ってた時だったから怖かったよ!」
「ゆうちゃんは(瓦の残骸の片付け)やらなくていいよ、休んでいなよ」
「怪我しなかった?」
近所の瓦屋さんでは対応しきれなくなってしまい、うちに職人さんを紹介してくれと頼みに来る方。
ここに住んでいるんだ。
馬鹿みたいだけど、住んでいることがリアルに感じられて、今までとは違った自分の町が見えた。
高齢者の方が多い町内。
私でさえも若い者のうちに入る。
ここで私はやるんだ。
日本規模の復興のためには何も出来ない。
でも、ここで“町の電気屋”として“動ける若い者”として目の前の人達の笑顔を見られる日を目指そう。
忘れられない怖さは忘れられるまで引きずっていったらいいんだ。
でも、私は笑おう。
今日のおまけの歌は、福山雅治さんの「明日の★SHOW」です。
♪この場所で戦うよ 倒れたって何度でも立ち上がれ・・・♪
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