リセットして・・・セカンドステージへ! [日記・エッセイ]
こんばんはっ
皆様、GWを満喫していますか~
最後に記事を書いてから気が付けば1年経ってしまっていました
読者数も減っていて・・・当たり前だよなぁ~と思いつつも、ちょっと寂しいです
記事を書きたいなぁ~と思っても、レスも遅れてしまうのは目に見えているし、今まで以上に皆様の所に伺えないだろうと考えると申し訳ないし、心と時間にゆとりが持てない事も理由でした。
改めて、あれから・・・
震災の被害に遭われたお客様からの依頼に何とかお応えする事が出来てほっとしたところで、予期せぬ役目が増えました。
(去年の)4月から下の姪の若君が幼稚園に入ったのを機に、ひろちゃんが6月からパートを始めました。
面接の際に話したのでしょうが、どうしても残業の日が多くなってしまい、私が二人の姪の“お側用人”に就任しました。
そのうえ、余震が落ち着いたことから再開した、ママちゃんのサークルの送迎が週に2~3回入ることになりまして。。。
初めて“一人でお留守番”をすることになった、のんの将軍は元来のビビリ性もあり、真っ直ぐに事務所に来ます。
その後、30、40分すると若君が返って来るので“園バス停留所”までお迎えに行きます。直ぐ近くのなのですが、たまに忙しさに意識が吹っ飛びダッシュで駆けつける事もしばしば・・・
で、かしまし娘が二人揃った事務所は、そりゃ~~~もう仕事どころではないっ
更に、その隙を見計らってママちゃんの送迎ときちゃ~~~
まだまだ体力が付いていない私としては、
「仕事に集中出来なぁ~~~い!」
・・・のですよね
で、そんなこんなの渦に巻かれ出して直ぐに“地デジ化切りかえ”がやってきました。
有難いことですが、予想を上回る“駆け込み注文”が入りまして、休みの日も部屋にこもって(普段もそうだけど^^;)商品の確保や現場の段取りを考えたりで、てんやわんやでした
ほっと一息ついてお盆を迎えて、後半戦。。。
お側用人の任は続くなか・・・
市の入札案件が偶然連続であったり、相変わらずあっちにこっちにという状態で「はて、私の仕事は何だろう?」と、ふっと考えることもしばしば
そして、最後のトドメは、オヤジが“免許取り消し”になった事でした
主たる事理由はシートベルト装着違反でした。
もちろん、取り消しになる前に“免亭”がありましたが、彼のポリシーの中の一つに
“法律に背く事”
が有る様で、それをしっかり実践してくれた訳です
まぁ~所持万端「I am low」で生きている人ですから、青天の霹靂ではありませんでしたが、仕事の面を考えると・・・
こぉ~のスットコドッコイ、大概にせいやぁ~
と、頭を抱えた様な次第でして
それでも、駆け抜けるしかなくて年末まで“とにかく捌いで”去年の仕事納めを迎えました。
で、今年の始りは、比較的穏やかで、営業パンフを作ってみたり、勉強してみたりで、頭の中だけが走っている状態でのスタートでした。
その後も、去年が大変だったせいか、特にあたふたする事もなく・・・ただ、オヤジがの運転が出来ないので、出掛ける事が多くなった程度かな
M君も、たま~にご機嫌の悪い時には“お前は日本語が分からんのかいっ”と言いたくなる様な言動をしますが、仲良くやっていて、現場の話も沢山してくれ
♪上から~ゆっち~~サディスティックな奴め (AKB48:うえからマリコ、パクリ^^;)
を受け入れてくれています。
そうなれたのも、一昨年に閃き?があった事が大きいと思います。
簡単な事なのですが、ある時、ふっと
あ、そうか。どうして?なんで?って自分目線でしか見ないから苛立つんだ。とにかく“M君はこういう人”って全部受け入れちゃえばいいんだ!
って思ったんですよね。
そこで、“○○して欲しい”と思った時に、M君だったらどういう表現が飲み込みやすいか・受け入れやすいかを改めて想像してみたり、話してくれる事を全部否定しないで聞いたり、やって欲しい事もまずは自分でやっている姿を見せる→もっと報告をして欲しかったら、自分がオヤジに細かく報告している姿を見せるとか。
あとは、意識をして「ありがとう」「ごめんなさい」を言う回数を多くしてみたり。
そんな結構普通の事なのですが、あとは・・・バカとハサミは使い様・・・豚もおだてりゃ木に登る・・・かな^^;
バカにしてる様ですが、結果オーライという事で
・・・と、ここまでは、表面的なご報告がてらの話で。。。
☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°.:*‥°.:*.:*☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°.:*‥°.:*.:*☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°
プライベートの面では・・・泣いたねぇ~~~。
某芸能人が離婚会見で言っていましたが
人生で起こると想像していなかった事
が私にも連発しました。
心の中の一番太い柱が、だるま落としでスコーンと駒を抜いた途端に崩れる様に折れてしまいました。
愛されている事は疑わなくても、母を“親というスタンス”で見られなくなりました。
もちろん、人間関係や物事に10対0ってことはありません。自分にも原因や理由はあります。
でも、分かっていても、胸は痛みました・・・いや、今もそこに気持ちがシフトすると痛みます。
もう、人と係わりたくない・人に心を開くのはやめよう、何て考えましたし、そんな気持ちを隠してケラケラ笑いながら仕事をしなくてはならない環境が重たくなって「全部放り投げて逃げてしまいたい」と思う時も少なくはありませんでした。
だけど。
「死にたい」という考えは浮かばなかったのですよね。
逆に「とにかく前に!」って言うんです。自分の中の何処かに生まれていた自分が。
ふしぎだなぁ~って思いましたが、“これが病気が良くなったって事”なのかなと思いました。
事の大小は比べられないけれど、やり切れなが募った時・デットエンドに立ったと感じた時は死のうと思ったし、実際に薬を多量に飲んだ事が2度ありました。
なのに、いつの間にか脳が勝手に“死ぬ”じゃなくて“とにかく前を向け”ってサインを送ってくる。
へぇ~~~人間ってスゴイんだねぇ!
アメリカの某医学博士が「病の中で一番恐ろしいのは心の病気だ」と言っていた意味を改めて痛感しながら、振り返ってみると・・・
たかちゃん先生に診察してもらうようになって直ぐの頃・・・
当時は鬱だけではなくて、過食症も併発していたせいか
「このままでは死にますよ」
と、病気を受け入れられない母に言った先生の声が、まるで自分じゃない誰かの噂話をしているように聞こえて
ふぅ~ん、こんな感じでも死ぬのか。意外と人間ってあっけないもんなんだなぁ~。
なんて、どの部分がそんなに危険なのかも、どんな病気かも解出来ないままで治療がスタートしたんだっけ・・・。
それから
先生の猛反対を押し切って働き出して、長いスパンで考えたら治りを遅くしたのかもなぁ。
その他、色々と先生の言う事を聞かずに困らせたなぁ。
だけど、見えた事も多かったし、少しは学んだ事もあった・・・と思う。
そんな折に、震災があった。
被災したと言うにはおこがましい軽度だけど、崩れ落ちてくる瓦の下敷きになりそうになって、打ち身を負った。
てんてこ舞いの生活になって、潰れてしまう・・・折れそうになった時、ある人に気付かされた。
「よぉうく考えてみな。死ぬって言われて自分でも死のうとまでしたのに、ここまで来る事が出来たんだよ。どんだけ辛かったか振り返ってみなよ。その苦しみを乗り越えて来たんだよ。初めての経験だしパニックになるのも当然だけど、生活の辛さで言ったら比べ物にならないでしょ。大丈夫。今だって絶対に出来る」
そうだ。先の見えない、自分の意志では抗えないブラックホールの中でもがいていた事と比べたら、今の状態ははるかにマシだ。
そうだ。縁あって生きているし、病気も良くなったんだから、あの頃より戦えないはずはない。
“のど元過ぎれば熱さ忘れる”になっちゃってたのかな・・・
うん。折れるもんか
目に見えている事なら立ち向かえるんじゃないかと勇気が沸いた瞬間だったと思う。
それから、話が前後しますが、上段に書いた様に、駆け抜けて・・・
今。
未熟ながらも、二代目社長が誕生しました。
前から暗黙の了解でしたが、娘可愛いとは言え、そこはシビアに去年、最後のハードルを置かれました。
「お前の考えで仕事を回し、帳簿を付け、やって行けるか見せてみろ」
そして、結果は1~2割家計とのリンクを入れても“暫定黒字”に(企業や役所の支払い日の関係で)する事が出来、決済が下りたのです。
ガッツポ~~~ズ
はぁ~良かったと安堵しましたが、時を移さず、潮が満ちてくる様にでジワ~っと、初めての類の“責任”が押し寄せてきて・・・相変わらず右へ左へ彷徨いだした心ですが・・・
自分はどうしたいのか
自分は何をしなければいけないのか
が、ハッキリしました。
一番大きな事は。
もう今迄の様に、曖昧に・避ける・誤魔化す事で“いい人でいよう”としてた自分からいい加減大人にならければいけないと。
私個人の生活を守るんじゃないから。
きっと、オヤジも色々な場面で、シビアにならざるを得なかったり、リアルタイムには理解してもらえない決断をしてきたのだと思う。
無口な彼は愚痴も言わない代わりに説明も余りしなかったから、時に反感だけをぶつけてしまったっけ。
私に対しても、仕事のやり方とか何をするべきがとか、ほとんど言わなかった。
でも、間違っている事は「間違っている!」と、顔を鬼瓦の様にしてまで私が理解出来るまで言ってくれる。
“愛の鞭”ってやつだろうし、“冷や酒と親父の小言は後からきく”って本当だ。
それから。
去年から今年にかけて泣いて泣いたことで心に願いと約束をした。
豊かな人になりたい。
向き合っている人の心に常に真摯である様に。
2.3年前までの病気の症状があった13.4年間の私の生活は、小さな社会の中ででしたが評価してもらえる仕事が出来ていても、いい事があっても“自分の中に自分がいなかった”から空白ですし、これからも空白のままでしょう。
金銭的なことでもないから埋め合わせる事も出来ません。
でも、埋め合わせる必要はないかなぁ~て。
駄目は駄目なりに一生懸命で、その頃の私にはそれしか出来なかったのだし、振り返る事は出来ても、道は戻って直せないから。
だから・・・
今迄の事をリセットして、自分の中に戻って来た自分でセカンドステージの始まりです。
家族を始め、この場所でも励まし・応援して下さった皆様への感謝の気持ちを胸に、良い道を敷いて行こうと思います。
今の心持にピッタリかなぁ~と思う曲を良かったら聞いてみて下さい。
これからもブログは続けて行きたいと思っていますが、ちょっと手軽なツイッターも始めていて、ポツポツつぶやいています。
良かったらお相手下さい。
http://twitter.com//yucchi315
皆様、GWを満喫していますか~
最後に記事を書いてから気が付けば1年経ってしまっていました
読者数も減っていて・・・当たり前だよなぁ~と思いつつも、ちょっと寂しいです
記事を書きたいなぁ~と思っても、レスも遅れてしまうのは目に見えているし、今まで以上に皆様の所に伺えないだろうと考えると申し訳ないし、心と時間にゆとりが持てない事も理由でした。
改めて、あれから・・・
震災の被害に遭われたお客様からの依頼に何とかお応えする事が出来てほっとしたところで、予期せぬ役目が増えました。
(去年の)4月から下の姪の若君が幼稚園に入ったのを機に、ひろちゃんが6月からパートを始めました。
面接の際に話したのでしょうが、どうしても残業の日が多くなってしまい、私が二人の姪の“お側用人”に就任しました。
そのうえ、余震が落ち着いたことから再開した、ママちゃんのサークルの送迎が週に2~3回入ることになりまして。。。
初めて“一人でお留守番”をすることになった、のんの将軍は元来のビビリ性もあり、真っ直ぐに事務所に来ます。
その後、30、40分すると若君が返って来るので“園バス停留所”までお迎えに行きます。直ぐ近くのなのですが、たまに忙しさに意識が吹っ飛びダッシュで駆けつける事もしばしば・・・
で、かしまし娘が二人揃った事務所は、そりゃ~~~もう仕事どころではないっ
更に、その隙を見計らってママちゃんの送迎ときちゃ~~~
まだまだ体力が付いていない私としては、
「仕事に集中出来なぁ~~~い!」
・・・のですよね
で、そんなこんなの渦に巻かれ出して直ぐに“地デジ化切りかえ”がやってきました。
有難いことですが、予想を上回る“駆け込み注文”が入りまして、休みの日も部屋にこもって(普段もそうだけど^^;)商品の確保や現場の段取りを考えたりで、てんやわんやでした
ほっと一息ついてお盆を迎えて、後半戦。。。
お側用人の任は続くなか・・・
市の入札案件が偶然連続であったり、相変わらずあっちにこっちにという状態で「はて、私の仕事は何だろう?」と、ふっと考えることもしばしば
そして、最後のトドメは、オヤジが“免許取り消し”になった事でした
主たる事理由はシートベルト装着違反でした。
もちろん、取り消しになる前に“免亭”がありましたが、彼のポリシーの中の一つに
“法律に背く事”
が有る様で、それをしっかり実践してくれた訳です
まぁ~所持万端「I am low」で生きている人ですから、青天の霹靂ではありませんでしたが、仕事の面を考えると・・・
こぉ~のスットコドッコイ、大概にせいやぁ~
と、頭を抱えた様な次第でして
それでも、駆け抜けるしかなくて年末まで“とにかく捌いで”去年の仕事納めを迎えました。
で、今年の始りは、比較的穏やかで、営業パンフを作ってみたり、勉強してみたりで、頭の中だけが走っている状態でのスタートでした。
その後も、去年が大変だったせいか、特にあたふたする事もなく・・・ただ、オヤジがの運転が出来ないので、出掛ける事が多くなった程度かな
M君も、たま~にご機嫌の悪い時には“お前は日本語が分からんのかいっ”と言いたくなる様な言動をしますが、仲良くやっていて、現場の話も沢山してくれ
♪上から~ゆっち~~サディスティックな奴め (AKB48:うえからマリコ、パクリ^^;)
を受け入れてくれています。
そうなれたのも、一昨年に閃き?があった事が大きいと思います。
簡単な事なのですが、ある時、ふっと
あ、そうか。どうして?なんで?って自分目線でしか見ないから苛立つんだ。とにかく“M君はこういう人”って全部受け入れちゃえばいいんだ!
って思ったんですよね。
そこで、“○○して欲しい”と思った時に、M君だったらどういう表現が飲み込みやすいか・受け入れやすいかを改めて想像してみたり、話してくれる事を全部否定しないで聞いたり、やって欲しい事もまずは自分でやっている姿を見せる→もっと報告をして欲しかったら、自分がオヤジに細かく報告している姿を見せるとか。
あとは、意識をして「ありがとう」「ごめんなさい」を言う回数を多くしてみたり。
そんな結構普通の事なのですが、あとは・・・バカとハサミは使い様・・・豚もおだてりゃ木に登る・・・かな^^;
バカにしてる様ですが、結果オーライという事で
・・・と、ここまでは、表面的なご報告がてらの話で。。。
☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°.:*‥°.:*.:*☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°.:*‥°.:*.:*☆.。.:*‥°.:*‥°.:*.:*‥°
プライベートの面では・・・泣いたねぇ~~~。
某芸能人が離婚会見で言っていましたが
人生で起こると想像していなかった事
が私にも連発しました。
心の中の一番太い柱が、だるま落としでスコーンと駒を抜いた途端に崩れる様に折れてしまいました。
愛されている事は疑わなくても、母を“親というスタンス”で見られなくなりました。
もちろん、人間関係や物事に10対0ってことはありません。自分にも原因や理由はあります。
でも、分かっていても、胸は痛みました・・・いや、今もそこに気持ちがシフトすると痛みます。
もう、人と係わりたくない・人に心を開くのはやめよう、何て考えましたし、そんな気持ちを隠してケラケラ笑いながら仕事をしなくてはならない環境が重たくなって「全部放り投げて逃げてしまいたい」と思う時も少なくはありませんでした。
だけど。
「死にたい」という考えは浮かばなかったのですよね。
逆に「とにかく前に!」って言うんです。自分の中の何処かに生まれていた自分が。
ふしぎだなぁ~って思いましたが、“これが病気が良くなったって事”なのかなと思いました。
事の大小は比べられないけれど、やり切れなが募った時・デットエンドに立ったと感じた時は死のうと思ったし、実際に薬を多量に飲んだ事が2度ありました。
なのに、いつの間にか脳が勝手に“死ぬ”じゃなくて“とにかく前を向け”ってサインを送ってくる。
へぇ~~~人間ってスゴイんだねぇ!
アメリカの某医学博士が「病の中で一番恐ろしいのは心の病気だ」と言っていた意味を改めて痛感しながら、振り返ってみると・・・
たかちゃん先生に診察してもらうようになって直ぐの頃・・・
当時は鬱だけではなくて、過食症も併発していたせいか
「このままでは死にますよ」
と、病気を受け入れられない母に言った先生の声が、まるで自分じゃない誰かの噂話をしているように聞こえて
ふぅ~ん、こんな感じでも死ぬのか。意外と人間ってあっけないもんなんだなぁ~。
なんて、どの部分がそんなに危険なのかも、どんな病気かも解出来ないままで治療がスタートしたんだっけ・・・。
それから
先生の猛反対を押し切って働き出して、長いスパンで考えたら治りを遅くしたのかもなぁ。
その他、色々と先生の言う事を聞かずに困らせたなぁ。
だけど、見えた事も多かったし、少しは学んだ事もあった・・・と思う。
そんな折に、震災があった。
被災したと言うにはおこがましい軽度だけど、崩れ落ちてくる瓦の下敷きになりそうになって、打ち身を負った。
てんてこ舞いの生活になって、潰れてしまう・・・折れそうになった時、ある人に気付かされた。
「よぉうく考えてみな。死ぬって言われて自分でも死のうとまでしたのに、ここまで来る事が出来たんだよ。どんだけ辛かったか振り返ってみなよ。その苦しみを乗り越えて来たんだよ。初めての経験だしパニックになるのも当然だけど、生活の辛さで言ったら比べ物にならないでしょ。大丈夫。今だって絶対に出来る」
そうだ。先の見えない、自分の意志では抗えないブラックホールの中でもがいていた事と比べたら、今の状態ははるかにマシだ。
そうだ。縁あって生きているし、病気も良くなったんだから、あの頃より戦えないはずはない。
“のど元過ぎれば熱さ忘れる”になっちゃってたのかな・・・
うん。折れるもんか
目に見えている事なら立ち向かえるんじゃないかと勇気が沸いた瞬間だったと思う。
それから、話が前後しますが、上段に書いた様に、駆け抜けて・・・
今。
未熟ながらも、二代目社長が誕生しました。
前から暗黙の了解でしたが、娘可愛いとは言え、そこはシビアに去年、最後のハードルを置かれました。
「お前の考えで仕事を回し、帳簿を付け、やって行けるか見せてみろ」
そして、結果は1~2割家計とのリンクを入れても“暫定黒字”に(企業や役所の支払い日の関係で)する事が出来、決済が下りたのです。
ガッツポ~~~ズ
はぁ~良かったと安堵しましたが、時を移さず、潮が満ちてくる様にでジワ~っと、初めての類の“責任”が押し寄せてきて・・・相変わらず右へ左へ彷徨いだした心ですが・・・
自分はどうしたいのか
自分は何をしなければいけないのか
が、ハッキリしました。
一番大きな事は。
もう今迄の様に、曖昧に・避ける・誤魔化す事で“いい人でいよう”としてた自分からいい加減大人にならければいけないと。
私個人の生活を守るんじゃないから。
きっと、オヤジも色々な場面で、シビアにならざるを得なかったり、リアルタイムには理解してもらえない決断をしてきたのだと思う。
無口な彼は愚痴も言わない代わりに説明も余りしなかったから、時に反感だけをぶつけてしまったっけ。
私に対しても、仕事のやり方とか何をするべきがとか、ほとんど言わなかった。
でも、間違っている事は「間違っている!」と、顔を鬼瓦の様にしてまで私が理解出来るまで言ってくれる。
“愛の鞭”ってやつだろうし、“冷や酒と親父の小言は後からきく”って本当だ。
それから。
去年から今年にかけて泣いて泣いたことで心に願いと約束をした。
豊かな人になりたい。
向き合っている人の心に常に真摯である様に。
2.3年前までの病気の症状があった13.4年間の私の生活は、小さな社会の中ででしたが評価してもらえる仕事が出来ていても、いい事があっても“自分の中に自分がいなかった”から空白ですし、これからも空白のままでしょう。
金銭的なことでもないから埋め合わせる事も出来ません。
でも、埋め合わせる必要はないかなぁ~て。
駄目は駄目なりに一生懸命で、その頃の私にはそれしか出来なかったのだし、振り返る事は出来ても、道は戻って直せないから。
だから・・・
今迄の事をリセットして、自分の中に戻って来た自分でセカンドステージの始まりです。
家族を始め、この場所でも励まし・応援して下さった皆様への感謝の気持ちを胸に、良い道を敷いて行こうと思います。
今の心持にピッタリかなぁ~と思う曲を良かったら聞いてみて下さい。
これからもブログは続けて行きたいと思っていますが、ちょっと手軽なツイッターも始めていて、ポツポツつぶやいています。
良かったらお相手下さい。
http://twitter.com//yucchi315
お久しぶりです~
お元気そうで何よりです(^^)
by まお (2012-05-03 08:58)
ゆっちさん
おかえりなさい(*⌒▽⌒*)
落ち着いたら
メールちょうだいね
by みちる (2012-05-03 20:52)
ご無沙汰でした。
いろいろあってたくましくなられましたね。
元気そうでよかったです。
またメールしますね。
by やっぴー (2012-06-03 16:34)
便りのないのはそこそこ元気に
日々頑張っておられるんだなぁと思ってました。
今日ふと、そういえばあれから1年くらい経ったなぁと思い
開けてみたら更新されていたので
久々にペンを、じゃない、キーボードをとりました(^_^;)
一言では表せない大変な日々の積み重ねがあったんだと思います
変な言い方ですが、同じ家族でも、一緒に仕事をしていたとしても
父の生き方と母の生き方は違うと思います。
だからゆっちさんもゆっちさんの生き方でいいのではないでしょうか
親がどの辺まで子にどこか期待したり
また自分の成せなかった事をさせようとしたり
自己投影するのかは人それぞれだと思いますが
どこか自分の作品の1つと思ってるところがあるのか
自分の思うように育たないと勝手に期待したくせに
裏切られたという思いをもったり
また、今までの自分の人生ってなんだったんだろうとか
何も成せなかったとか思っちゃうと
親がふさぎこんでしまうようです。
年齢がいくほど生き方を変える事はとても難しいし
頭の柔らかさもどんどんかたくなっていきます。
子も親はいつまでも偉大であってほしいし
期待しちゃうので
つながりが濃いほど
うまくいかない時ってありますよね。
そう思うと意外と父の懐の深さも
改めて発見したりするんだと思います(^_^;)
だから悪い事ばかりではありません。
それも1歩1歩進んでるんですよ、きっと。
我が家は思春期にちゃんとした反抗期を迎えなかったので
お互い頭の柔らかいうちに
諍いを恐れずにぶつかっておけばよかったなぁなんて
よく思います。
何か的外れな事をいいましたが
ゆっちさんすごい!
ゆっちさん頑張ってる!進んでる!
(私も見習わねば…(>_<))
何か勇気をもらいました。
ではおやすみなさい。
by そういちろう (2012-06-20 00:39)
qoo2qooさん。
ご無沙汰しています。すみません。
ナイス、ありがとうございます!
by ゆっち (2012-07-10 00:29)
まおさん。
本当に、お久し振りです~。
お陰さまで、元気で凹みながら頑張っています。
by ゆっち (2012-07-10 00:38)
みちるさん。
ただいまです!
本当にご無沙汰してしまってすみません。
もう少し、ゆとりが見えてきたら、必ずご連絡します!
by ゆっち (2012-07-10 00:40)
爆弾小僧さん。
ご無沙汰していてすみません。
ナイスありがとうございます!
by ゆっち (2012-07-10 00:41)
chiwarinさん。
ご無沙汰していてすみません。
ナイスありがとうございます!
by ゆっち (2012-07-10 00:42)
やっぴーさん。
本当にご無沙汰しています。すみません。
「たくましくなった」
すんごく嬉しいです!
私も、メールさせて頂きます。
by ゆっち (2012-07-10 00:44)
そういちろうさん。
幸せな偶然で、記事を読んで頂けたのですね。
的外れなお言葉など、何もありません。
ただ、読ませて頂きながら、涙が出ました。
そうですね。
母は性質が父にかなり近い私を理解出来なかったり、(母方の)祖母に似て泣き虫だったりする部分が受け入れられないのですね。
それと、彼女が期待した方向性を頑として拒否したり、出来なかった事をおよそ真剣味が感じられず、飄々としている私が出来た事も、手放しで喜べなかったのだろうと思います。
お言葉を借りれば、兄とは違って「作品」としては予想外だったようです。
ですが、両親それぞれの遺伝子が交わっている事も確かに感じています。
私は「万年反抗期」と言われていますが、納得しています^^;
私の頑張りは、そういちろうさんの頑張りより少ないかもしれません。
そういちろうさんの言葉が私にはそう思えます。
でも、お褒め頂いて、私も勇気を頂きました。
ありがとうございます!
by ゆっち (2012-07-10 01:07)